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アントニオ猪木vsモハメドアリの勝敗は?その後「再戦」予定だった?

アントニオ猪木vsモハメドアリの勝敗は?その後「再戦」予定だった?

2022年10月1日、元プロレスラーで、難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だったアントニオ猪木さんが死去しました。

アントニオ猪木と言えば、当時プロボクシングのヘビー級チャンピオン「モハメド・アリ」との異種格闘技戦を行いましたが、

その勝敗はどうだったのでしょうか?

今も人々の記憶に受け継がれる「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」との一戦

2022年10月1日、元プロレスラーで、難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だったアントニオ猪木さんが死去しました。

アントニオ猪木さんば、1998年にプロレスラーを現役引退するまで、ボクシングや柔道などの格闘技の試合にも積極的に取り組んできました。

その中で、特に大きな注目を集めたのが、1976年6月26日に東京の日本武道館で行われた、

“蝶のように舞い、蜂のように刺す”と言われるほど名選手であった、当時プロボクシングのヘビー級チャンピオン モハメド・アリとの一戦でした。

プロボクシング現役の世界チャンピオンとの対戦は当時「格闘技世界一決定戦」として世界中で大きな注目を集めたそうです。

そして、その試合結果はどうなったのか?と言うと…


「アントニオ猪木vsモハメドアリ」の勝敗は”引き分け”

【画像】「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」戦「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」戦

結論と言うと両者の戦いは

引き合わけ(ドロー)※1、2に終わりました。

※1 勝敗が決まらず、勝負は判定に持ち込まれました。

ジャッジ3人の判定は、

  • ドロー(71対71)イヴァン・ジン・ラベール(メインレフェリー)
  • 猪木(72対68)遠山甲(日本ボクシング協会公認レフェリー)
  • アリ(74対72)遠藤幸吉

となり、「両者引き分け」の裁定となった。

※2 後年、ミスター高橋は、「遠藤が採点記入方法を間違えた」と指摘しており、これがなければアリが勝利していたという(真偽不明)

しかし…

15ラウンド中でアリが放ったパンチは「寸止めの左ジャブ5発」しか無く、にもかかわらず、プロレス側のジャッジである遠藤が「アリの勝ち」という不可解な判定であったことから、「ドロー(引き分け)が予め決まっていた可能性が高い。

周りは所詮は”茶番(エンターテインメント)”と思っていたようですが、当事者の2人は、とても真剣な試合だったそうです。(猪木はアリのパンチにより頭は腫れ、アリも猪木に蹴られた原因で歩けなくほどダメージを負ったそうです。)


「猪木vsアリ」の異種格闘技戦の試合はどんな感じだったのか?

【画像】「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」戦

「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」戦アントニオ猪木とモハメド・アリの異種格闘技戦で猪木は、モハメド・アリのパンチを警戒し、終始「寝転んで」いたそうです。

猪木は幾度となくアリの足を蹴ろうとするが、そのほとんどは空振りでした(本気で当てようとしてないため)だった。

【画像】「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」戦「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」戦

そんな猪木の攻め方に、少し苛立ちを感じたアリは猪木に立つように挑発。

猪木も何度か立ち上がりはしたものの、またアリの足を狙いに寝転がり、アリは常に軽やかなステップを踏み続けた。

猪木の寝転がりに次第に観客は退屈してきました。

その空気を読み取ったアリは、場を盛り上げようと幾度となく猪木に対し「立つように」挑発を繰り返しましたが、最終ラウンドに近づく頃にはもうやる気も薄れ、猪木もアリを転がすこともあったが決定打を出すことはできず、

結局「3分15ラウンドの試合」は、そのまま終わったそうです。

アントニオ猪木はなぜ?「寝転んでばかり」で戦っていたのか?

【画像】「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」戦「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」戦

その理由については、猪木が2000年に出版した自伝で

アントニオ猪木
アリへの

  1. 「頭への攻撃」
  2. 「立った状態での蹴り」
  3. 「ひじやひざによる攻撃」

などを禁止

するように、試合前日になってアリ側に求められたと明かしています。

そのために、アントニオ猪木としては、

「どこをどうやって攻撃すれば良いんだ??」

と考えた挙げ句、「寝転んで戦う」ことを選んだのでしょう。

 

その結果、最終の第15ラウンドまで、両者が立ったまま拳を交えたり技を掛けあったりすることはほとんどなかった為、一部では

「世紀の凡戦」

とも言われましたが、

 

この試合をきっかけに「アントニオ猪木」の名前が海外に広く知れ渡るきっかけにもなったそうです。

 


その後「再戦」を予定していた?

【画像】「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」戦「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」戦

この一戦を終えた猪木の名は、

「足を広げた売春婦がリングの中にいた」

など、一部では汚名として世界に広まったが、そしかしこれによって新日本プロレスはヨーロッパ各国でテレビ放送されるまでになったそうです。

ですが、この世紀の試合の収益が思ったほど伸びず、モハメド・アリ側に支払う高額なギャラなどにより、猪木および新日本プロレスは多額の借金を背負わされることになったそうです。

このギャラ問題で新日本側はアリ側に損害賠償を求め、アリ側も契約不履行の訴訟を起こすなど、お互いを訴え事態になりました。

その後、結局のところ最終的には「和解」したそうです。

 

その際に、新日本プロレスの元営業本部長であった新間 寿(しんま ひさし)氏は

”再戦”を要求したら、分かったと言ってくれた、なんて言ったそうです。

 

ですが、実際には「再戦」は行われず、

 

モハメド・アリは2016年6月に亡くなり、そしてアントニオ猪木氏も、2022年の10月1日にお亡くなりになりました。

 

新間氏は、「猪木VSアリで作った負債は猪木VSアリで返す」と思っていたそうなので、新間の願望によるウソだったのかも知れませんね。

それだけ、新間氏は彼ら2人をまた「再戦」させたかったのでしょう。


まとめ:アントニオ猪木vsモハメドアリの勝敗は?その後「再戦」予定だった?

【画像】「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」戦「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」戦

今回は「アントニオ猪木vsモハメドアリの勝敗は?その後「再戦」予定だった?」というテーマで、

「アントニオ猪木vsモハメドアリ」の勝敗や「再戦」予定だった事について調査していきました。

アントニオ猪木氏の訃報により、お二人が再び戦う事は、もう2度と実現することが無くなってしまい、少し寂しくなりました。

願わくば、お二人が天国で再び相交え、仲良くまた戦えている(?)よう、ご冥福をお祈りします。

 


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